まちプロ

まちプロ ホーム » 
イベント案内
キヲクのキロク写真展愛媛県内リレー実施中
記憶の継承写真展 7/9~7/27 宇和島市役所ロビー
旧端出場水発100周年記念事業 7/24

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ブログの引越し

ブログの引越し
http://regional-design.blogspot.jp/
FC2 Management

旧別子を歩く

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

久しぶりに旧別子を歩きました。近代化産業遺産Jrマイスター養成講座の後期講座に登山がありました。マイスター養成講座については別のブログでレポートします。別子銅山の発祥の地というか、原点ですね。住友企業にとっては聖地となります。

登山は日浦口からです。ルートは、日浦口~円通寺~小足谷醸造所跡~接待館跡~小学校、劇場跡~高橋(たかばし)製錬所跡~代々坑~歓喜坑、歓東坑~銅山峯~ヒュッテ~東平第三通銅です。


「井桁正宗」を知っていますか?ここ、小足谷醸造所で作られていました。逸話では、気が荒く、体力のある坑夫をも酔わせて寝かせてしまうほどきつい酒であったそうです。別名鬼殺しと呼ばれていました。この醸造所跡は商家の集落であったようです。味噌、醤油、酒を造っていたようですから、山の暮らしが伺うことができそうですね。醤油が基本の調味料で、塩や砂糖は山ではつくっていないから麓の集落から持ってこさせていたのかどうか。時代は明治3年からです。この当時の食生活の記録があればいいですね。酒の原材料となる米も別子山中では賄えないだろうから、麓の集落から持ってこさせていたのだろう。酒を持ってこさせればいいと思うが、酒を運ぶのも大変である。

醸造所の煙突は山根製錬所煙突と同じ構造、四角柱で煉瓦積。
20120917Jrマイスター 028

この付近に煉瓦が散在している。煉瓦に刻まれている文字を探すのも楽しい。
20120917Jrマイスター 030


これは、小足谷劇場跡である。明治22年築造、現在は残っていない。撤去時期も不明確である。明治23年5月の別子銅山200年祭に、ここを劇場として解放し、上方から歌舞伎の名優を招いて盛大に祝ったそうです。以来、ここが毎年5月の山神祭には劇場として使われた。
20120917Jrマイスター 036

蘭塔場。蘭塔とは、台座上に卵形の塔身をのせた墓石のことである。遺跡に見え、山の上にあるのでインカ帝国を模して四国のインカ帝国と呼ばれている。
20120917Jrマイスター 038

銅山峰に登ると、新居浜市内、しまなみ海道、広島県福山市が一望できました。この景色は登らなくては見れない。登って肉眼で見ること感動を与えてくれますよ。
20120917Jrマイスター 062

小足谷の集落の前を通っている往還道。往還道が歩きやすいのは登山道ではなく生活道だから。往還道は歩きやすい。

登り道商店街の景観

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

登り道。愛媛県新居浜市のまちなか商店街。その道は近代化の道、別子銅山の往還道であった。江戸期には別子銅山から銅鉱石を牛、馬、人力で運搬した道の終端にある。昭和期に高度経済成長とともに商店街として隆盛を誇っていた昭和通り、本町通り、花園通りなどと共に賑わいの地域をつくっていた。

往還道とは往来のことであり、街道でもある。街道とは物流と人の都市間移動の道である。街道は公共空間である。別子往還道(銅の道)は別子銅山の物流の道、都市形成は鉱山町から工業都市への進展による、都市間を結ぶ街道ではない、交通の要衝ではないといった点から商店街の衰退化は早かった。

この日は、登り道から銅山越が見えるポイントを探しに行った。

20120705登り道 003
景観色が明るい。

20120705登り道 005


20120705登り道 009
近隣商業地域の雑多な街並み。

20120705登り道 024
ここから銅山越が見える。

20120705登り道 039

20120705登り道 043

20120705登り道 046

20120705登り道 049

20120705登り道 053

さてさて、別子往還道を感じさせるものはなにもない。
次の一手をうつ。

近代化産業遺産を学ぼう

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

地域を自慢する人を輩出させたい。新居浜自慢は愛媛自慢。


近代化産業遺産Jrマイスター養成講座

四国最大の工業都市を担う新居浜市。そのルーツは別子銅山にある。明治日本の近代化をつくり上げた日本の技術は全て別子銅山にありました。

産業遺産と呼ばれる遺構を見るだけでも楽しい、知的好奇心をくすぐる講座を受講すれば、地域を深く知ることができて尚楽しい。

近代化産業遺産Jrマイスター養成講座はJrマイスターの称号を愛媛県より授かり、観光大使としてずっと、愛媛自慢をするミッションを与えます。

そんな講座を開講します。


講座日時:第一回講座    平成24年8月25日と26日(新居浜市内と東平)
     第二回講座    平成24年9月15日と16日(東平と旧別子)
     発表会及び承認式 平成24年10月27日


参加費:実費負担(食事等)5000円(2500円×2回)

主催:愛媛県東予地方局

第一回講座 概要
・広瀬歴史記念館ガイド付見学と学習
・別子銅山記念館ガイド付見学と学習
・別子銅山近代化遺産を学ぶ講座
・タンデム自転車で新居浜市内の産業遺産巡り(しまなみシクロツーリズム)
・学びのシェアワーク

第二回講座 概要
・旧別子登山
・シビックプライド(いよこころざし大学講座)
・産業遺産と技術、ものづくり新居浜(愛媛県総合科学博物館講座)
・学びのシェアワーク

上記講座は東平自然の家で宿泊です。

最後に参加者がシェアワークを行ないJrマイスター宣言をプレゼンし、見事合格したら愛媛県よりJrマイスターの称号が得られます。観光大使と同じように郷土愛媛県のPRを行なってください。

講座受講後のイメージ
・シェアワークによりプレゼン力がつきます。
・ワークショップの場づくりが学べます。
・もちろん、近代化産業遺産のものしり博士になれます。
・観光気分でもOKガイド付きなので面白い。

ただし、参加資格があります。
高校生、高専生、大学生のみです!

参加希望者は、このブログのメッセージを使ってください。
但し、多い場合は主催者側で選考します。ご了承ください。

来たれ、若者!


別子往還道プロジェクト 写真展開催

こんにちはまちプロ尚草紙です(^^♪

今年度も別子往還道プロジェクトのイベントが目白押しです。
来週、新居浜市内にある山田社宅群の中の元住友共同電力社長宅で写真展が開催されます。

写真は、新居浜市内の市民から寄贈された昭和30年代を中心としたものです。
初公開となります。

東平 記憶の継承パネル展

卯之町町並み

こんにちはまちプロ尚草紙です(^^♪

文化的な景観を考える旅今回は卯之町です。愛媛県の持つ地域の固有性がナンであるか考えるために題材を選んでみました。最初が都市に属する離島。南予の町並み保存地区2箇所。

_IGP0527.jpg

商店街の空き地から背後に見えるのは西予市役所。

_IGP0528.jpg

商店街の店舗跡のショーウインドーにガンダム展示。

_IGP0532.jpg

卯之町駅から商店街へ。スナックが数件あり、ちょっとした歓楽街?看板類も派手。

_IGP0544.jpg

宇和小学校校舎とブランコ。広い校庭です。

_IGP0546.jpg

宇和小学校内の立派な樹木。これは学んだ思い出になっているだろう。

_IGP0548.jpg

この黄色い家。この色は他地域でも見られます。美馬町、真庭市・・・etc

_IGP0565.jpg

旧宇和小学校の廊下。ここで雑巾がけ選手権が開かれているようです。

_IGP0577.jpg

旧宇和小学校内で展示している活字印刷機。

_IGP0589.jpg

商店街。貸し家募集中。

_IGP0596.jpg

町並み保存地区。宇和民具館。

_IGP0597.jpg

町並み保存地区。煉瓦塀。

_IGP0605.jpg

開明学校。申義堂内。

_IGP0609.jpg

開明学校。

_IGP0615.jpg

開明学校内教室。司馬遼太郎氏も訪れている。

_IGP0624.jpg

町並み保存地区。

_IGP0629.jpg

町並み保存地区。

_IGP0630.jpg

町並み保存地区。

_IGP0634.jpg

町並み保存地区。

_IGP0647.jpg

町並み保存地区。
後で見解をまとめたいが、気になるのが町並み保存地区の家には生活の営みから派生する人の生活様式が見えないこと。

_IGP0653.jpg

商店街の昭和の洋風商業建築。

_IGP0658.jpg

商店街。昭和の擬似洋風建築。


これらを題材に愛媛固有の文化的な景観を考えてみます。記事は後日。

津島「岩松地区の町並み」

こんにちはまちプロ尚草紙です(^^♪

文化的な景観とは何だろうか考える題材、宇和島市津島町「岩松地区町並み保存地区」



岩松川の鴨。これはご愛嬌。水がきれいである。ただし下水(家庭雑排水)は流入している。たちションもしているwこれは驚いたw

_IGP0429.jpg

岩松地区に行く前に宇和島駅で下車し、神田川沿いの大村益次郎、当時村田蔵六先生の居宅跡。宇和島藩に出仕していた。私の敬愛する人物。

_IGP0424.jpg

神田川。

_IGP0423.jpg

宇和島城周辺の家並み。

_IGP0421.jpg

宇和島城周辺の家並み。

_IGP0419.jpg

宇和島の商店街。

_IGP0441.jpg

宇和島の商店街で自転車タクシー。

_IGP0459.jpg

岩松川に架かるトラス橋。

_IGP0457.jpg

岩松川沿いの家。堤防から張り出している松がなんともいい。

_IGP0455.jpg

岩松川沿いの家。

_IGP0446.jpg

商店街の町並み。朱書きのてんやわんやが目立つ。

_IGP0442.jpg

岩松川。広大で静かな雰囲気。

_IGP0508.jpg

ボートと柳。これが昔は多く見られたのでしょう。廻船する舟が。

_IGP0512.jpg

商店街の町並み。昭和の洋風建築。

_IGP0514.jpg

岩松川沿いのお店。工夫して町並みに配慮している店構え。

_IGP0462.jpg

愛媛銀行駐車場のブロック塀。

_IGP0466.jpg

西村酒造。

_IGP0469.jpg

西村酒造の中。地元の作家?作品展をしていました。

_IGP0479.jpg

西村酒造の中。地元の作家?作品展をしていました。

_IGP0498.jpg

店先に。

_IGP0504.jpg

昭和の洋風建築。これは特徴のひとつ。

松山市の離島二神島

こんにちはまちプロ尚草紙です(^^♪

GWは文化的景観はなんであろうか考える題材となる地域を歩いてきました。

松山市の離島「二神島」
県都松山市の都市部と過疎化、高齢化となる離島がひとつの行政区になっているケース。

まずは写真で紹介。

_IGP0306.jpg

松山市の高浜港のコンクリートプラント、マンション、住居の混在した景観

_IGP0318.jpg

船上から松山を見る。厚い雲が低く立ち込め天気が悪かったのですが、しだいに晴れ間になりパシャリと撮影。

_IGP0327.jpg

興居島に立ち向かう一艘の釣船。
これは遠近感の参考に。
島は外から見るものでもある。そこには、漁業や釣りといった風景が織り込まれる。漁場として最適といわれているからその風景がある。そこには生業があるということ。

_IGP0347.jpg

漁港を守るためでもある構造物。

_IGP0361.jpg

漁港の風景。導流堤、漁船、釣船、天日干ししている天草。

_IGP0373.jpg

漁港、家、その上に見える畑。生活空間である景観。

_IGP0378.jpg

子供がいなくなり学校は休校。なんとなく人の手が入っていたので撮りました。

_IGP0387.jpg

コンクリート製の消波ブロックが散在。
見ようによってはモアイ像と同じで意味を持った置き方かもしれないw

_IGP0390.jpg

綺麗に斜面に農地が配置され、畑も綺麗にしている。人の手が入ったことでみせる景観。生活の時間を使っている空間である。

_IGP0394.jpg

路地。ここには路地裏はない。路地が山の斜面に張り付いている宅地まで延びている。

_IGP0397.jpg

漁港の富栄養化した海面。

_IGP0398.jpg

防波堤の内側に子供が入ると外側からは見えなくなる高さ。

_IGP0401.jpg

漁業施設(倉庫)黒白はおしゃれ?

_IGP0402.jpg

蛸壺。これは漁業の景観。

_IGP0406.jpg

海浜と農業施設、畑が広がる景観。これも人の生活時間を使っている営みの景観。

_IGP0411.jpg

斜面の段々畑。石積みの石が特徴。どこも同じ産だと思う。どこかは調べていない。

キヲクのキロク写真展 新居浜

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

キヲクのキロク写真展。3.11市民が撮った大震災のキロク。
3/30~3/31愛媛大学をキックオフに1年間愛媛県内をリレー展示します。
県内20市町で展示。皆さまのご協力をお願い申し上げます。

さて、新居浜市でスタートしました。
新居浜まちづくり協働オフィス 4/18~5/2 

IMG_1192.jpg

IMG_1189.jpg

NPOと企業の連携による社会事業を進めています。
主催:NPO法人愛媛アカデメイア・リージョナルデザイン株式会社

キヲクのキロクin松山

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

キヲクのキロク
市民が撮った3.11大震災記憶の記録

写真展 平成24年3月30日(金)13時~17時 31日(土)10時~17時

講演 31日(土)15時~17時
足立千佳子さん(まちづくり政策フォーラム/みやぎ・やまがた女性交流機構/RQ被災地女性支援センター)

場所 愛媛大学内 愛大ミューズ1F アクティブラーニングスペース2

入場無料

写真提供: NPO法人 20世紀アーカイブ仙台.
主 催: NPO法人 愛媛アカデメイア・リージョナルデザイン株式会社
共 催: 愛媛大学地域創成研究センター
私たちは「NPOと企業の連携による社会事業」を進めています。


まちづくり魔女来る!
3.11のこと伝えてくれます。

東北大震災のこと考えてみよう。
自分にできること。
自分たちができること。

01_3.11キヲクノキロク



NPO法人20世紀アーカイブ仙台の佐藤様、写真提供ありがとうございます。

松山で開催後、新居浜、今治、松山と各市内で循環して写真展を開催します。

川口新田社宅

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

S38新田社宅

昭和30年代の川口新田社宅での一枚。

川口新田社宅は、別子銅山の最後の採鉱本部が置かれた端出場に一番近い所にあった。別子銅山は昭和48年に閉山になり、川口新田社宅は平成2年までにすべて撤去されたそうです。跡地はが現在の山根総合運動公園である。

オーラルヒストリーの大事さ。
写真から話を引き出すことで当時の生活が浮かびあがるように見えてきます。もちろん一枚の写真では不足しますが、写真一枚のもつ記録は往時を充分に語ります。

写真に写る子供たちの服装、お姉ちゃんでしょうか、弟らしき子供を背負っています。綺麗にしている道。どの子供も仲良く。昭和30年代のコミュニティの一枚。


写真は寺尾国義さん撮影です。
(寺尾さんの記録を伝える記憶の継承プロジェクト)


写真の語る力と人の記憶を引き出す、オーラルヒストリー活動を広げて新居浜別子銅山のアーカイブづくりを目標に活動しています。

別子往還道をえひめ歴史文化の道へ。


愛媛県生涯学習センターより「えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)川口新田社宅」

YouTubeに公開されている懐かしの社宅映像

JR松山駅周辺まちづくりシンポジウム


シンポジウム開催案内_ページ_1

シンポジウム開催案内_ページ_2

写真が見せる時代の生活と風景

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

日本経済新聞の文化欄の記事に「写真が切り開く新たな歴史研究」として写真から時代の生活や日常を窺い知ること事で既成の枠を超えた近現代史の道が開けるとした内容で掲載されていました。

記事中に九州の筑豊炭鉱「川ひらた」が写った明治30年代の写真がありました。この「川ひらた」石炭の積み出し港の若松港まで遠賀川を行き来する小型船だそうです。写真で明らかになったことは、その船の長さがそれまで知られていた2倍の11mほどあることと、人が暮らせるように草ぶき屋根で覆われていることだそうです。



写真を歴史資料とする点でのポイント

・撮影時期と場所の記録を残すこと

・著作権処理をすること(写真撮影者、被写体人物、建造物など権利主張がある場合)

江戸後期あたりから写真が残されるようになった日本。その撮影時期や場所の記録が残っていないことが多く、歴史資料としては文献の添え物であった。人物が違う場合すらある。

歴史史実としての特定に写真を用いる場合の研究がこれから進んでいくでしょう。


別子銅山の生活風景をオーラルヒストリーで記録保存を始めたのは、歴史史実を掘り起こす事、歴史史実を特定できなくても「生活」が残される事で、地域史編纂に関わるコミュニティを現在において形成することでまちづくりへの参画を促すことが目的でした。

オーラルヒストリーに写真を用いることは重要なポイントです。写真で記憶を引き出すのですが、オーラルヒストリーの性質でしょうか、人の記憶ですので、正確なことではないが当時の生活が浮かび上がります。写真はオーラルヒストリーへの引き出しにフォーカスインする効果があります。

現在の記憶の継承事業で用いる写真はまだまだ少なく、当時の生活を語り出す内容と一致しない風景であったりします。


まちづくりへの活用方策として写真を用いたオーラルヒストリー活動を始めましたが、オーラルヒストリーを文章化し「編集」することも勧めています。この「編集」をまとめていく人いないかな?お手伝いしていただける人募集します!よろしくお願いします。


記憶の継承プロジェクトです。
写真を用いてその風景から話を聞きます。
大切な点は語りを導くファシリテーションです。
20100925記憶の継承 040

20100925記憶の継承 043

別子往還道をえひめの歴史文化道へ。
新居浜の人々の記憶を未来への記録に。

銅山と産業遺産

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

別子銅山から紐解く地域交流パネル展in新居浜 
記念講演「銅山と産業遺産」
講師 坪井利一郎(元新居浜市別子銅山文化遺産課課長)

20120115巡回パネル展 007

今日の講演内容は、エリアを広げて別子銅山を見てみよう東予地域に広がる別子銅山産業遺産、地域住民の生活と別子銅山産業遺産のかかわりを知ろうという意味を込めていました。

会場の参加者はほとんどの方がボランティアガイドや郷土史研究をされている方でした。興味は産業遺産の新しい情報です。皆さん別子銅山と関わった生活を送ってきたのでしょうか。こうして勉強することはすばらしい。この輪が広がればいいなと思います。

坪井さんは、東予一円に広がる別子銅山と地域の関わりに石鎚の山岳宗教の話題を振っていました。仏教は坪井さんの得意分野ですね。ちなみに坪井さんは講話するときは和装になります。

私は、地方局が昨年から取り組みを本格的にし始めて、産業遺産と観光、地域コミュニティ再生と地域資源を主題に二人の知事に話す機会があり、提案してみました。別子銅山は石見よりも先に世界文化遺産になれる産業遺産でした、調査ができていたからです。県が動き出せば国への申請ができます。四国霊場八十八箇所の世界遺産が先だとの認識が愛媛にはあります。ここを超えるのは市民と産業遺産の関わりです。

世界遺産を目指しているかどうかは市民の保存運動にかかっている。企業の理解と取り組みも大事です。現状ユネスコの暫定一覧表に掲載されたとしても別子銅山単独では世界遺産は難しいだろう。九州山口連合と組むのなら可能性はある。もしくは足尾銅山と佐渡金山と一緒、瀬戸内海に面した地域連合もいい。私は瀬戸内海の多島美景観と産業遺産の組み合わせがいいと思っている。

別子銅山と地域の関わり。産業遺産を活用したまちづくりということが言われ始めた。「活用」は何をイメージするかですが、市民の生活の中に入り込んでいくこと、例えば公園や博物館になり公共空間の中でコミュニティができれば生活とかかわりがでてくる。産業遺産は何もそのまま保存し利用方法を変えてもいいのです。少子化の影響で学校の統廃合により廃校となった校舎をキャラクター博物館にしたりファッションのお店にしたり、その地域のコミュニティ形成に用途変換していく視点は大事。

私はそのためにもプロセスが必要と考えています。記憶の継承プロジェクトはその地域コミュニティ再生のプロセスなんです。別子銅山に関わった人の話を聞く、写真を探して保存する、記憶を引き出して公開していくことに人々の関わりを持たせていくことです。

2000年頃から近代化産業遺産の取り組みが本格化してきました。新居浜市も地元で産業遺産サミットを開催するなど実践してきました。初期段階は産業遺産調査です。次の段階は産業遺産保存と利活用の方策でした。そして3年前から次のステージ、市民と別子銅山のまちづくりとして記憶を継承し人の動きと連携をつくることに移行しています。

ドイツのファーレン、ドルトムントなどエムシャー川流域のIBAエムシャーパークの取り組みがモデルです。ドイツは市民のまちづくりに産業遺産を保存し、利活用している事例が多い。また、都市再生を果たしている。日本よりも30年程早く成熟社会(人口減少)を迎えたドイツは国、州、基礎自治体が一体となって産業遺産、環境に目を向けて国づくりをしています。

今、別子銅山活用まちづくり総合計画に取り組んでいますが、計画の目玉は市民の動きと連携です。ただ、企業との調整が進んでいないのでどこまで踏み込めるか問題もあります。

私の最終目標は産業遺産を活用した産業都市再生のレールを引くことです。もちろん産業都市再生が実践され(具体的な事項はまだ)産業構造の変化や地域再生の結果が出ることですが、政治で変化する社会資本整備はしたくない。だから、地域市民連携でプロセスを作り産業都市再生へのレールをひくのです。

今日は坪井さんの話を聞き、また意欲が出てきました。このブログもこのままずっと書き続けそうなのでここらへんで。


20120115巡回パネル展 008

20120115巡回パネル展 009

20120115巡回パネル展 014

新居大島探訪

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

朝の新居大島、ひとり散歩。

変わったブランコ。朝の暗い中寂しげ。
20120109新居大島 110

朝、日が昇りきる前、静かな静かな海面。息をすることを忘れる、いや呼吸で邪魔されたくない静寂さに感動。
こんなに穏やかで静かな時を数える海が身近にある。
古来、この海面に幾度と船が行き来し、嵐が訪れ、水面を乱すことがあっただろう。
しかし、何事もなかったように穏やかに微笑みを讃えているよう。
20120109新居大島 113

20120109新居大島 123

20120109新居大島 125

大島小学校。小さい校庭。渡航船が大島に着くとき船から見える校舎。学びの舎を船から見れば帰ってきたなと思う人は多いだろうか。
20120109新居大島 115

小高い丘を登ると、そこに縁台。桜を両側に海を見る。粋なものである。花見はさぞ豪勢なものだろう。
20120109新居大島 126

20120109新居大島 127

大島の町並み。古い建物は人が住まわなければ朽ちる。しかし佇まいは往時を偲ばせるものである。四季それぞれの匂いがするだろう。
20120109新居大島 128

井戸。昔は井戸端会議がにぎやかだったのだろうか。
20120109新居大島 129

奇妙な暖簾に住まう異国の人。
20120109新居大島 136

一人住まいの老人。寂しくない島の絆。
20120109新居大島 139

おおしま7。
20120109新居大島 144

おおしま7から。日はまた昇る。
20120109新居大島 145

新居大島史跡巡り

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

新居大島へとうどおくりを見学しに行きました。そこで新居大島の史跡巡りをしました。新居大島は歩いても全周9km程度、歩いて史跡巡りが簡単にできます。

新居大島が歴史に登場するのが村上義弘の時代、南北朝時代からです。それ以前はわかりません。

新居大島史跡位置図(新居浜市ホームページより)
http://www.city.niihama.lg.jp/uploaded/life/1050_1749_misc.pdf

地蔵堂・大島吉祥寺の末庵
20120109新居大島 118

仏海上人作仏像
伊予の木食僧仏海上人(字は如心)の作、百体の地蔵が安置されている。中央の地蔵尊の裏に寛保三癸亥十月以吉日願主仏海如心と記されている。1743年作のようである。
20120109新居大島 120

御番所跡?
これは定かではありません。地元の人に聞いてもわかりませんでした。新居浜市の文化財に詳しい人に聞かねばわかりません。石碑には文字が彫ってあるようですがまったくわかりません。
20120109新居大島 121

比丘尼磯(オヤナ磯)
脇屋義助の侍女が尼となりこの磯の上で平和を祈り、敵味方の霊を弔ったといわれる。明治の初めにオヤナという女性が身を投げてからオヤナ磯と言われるようになった。
脇屋義助は新田義貞の弟。伊予守であった。南北朝の混乱期に中国四国方面の総大将となり伊予の国府で病没。
20120109新居大島 124

願行寺
浄土宗、天正元年創立。浄土宗は村上水軍の信仰。
「幽霊の残した片袖」伝説
 新居浜市の大島に、喜衛門という漁師がいた。妻はお菊といって、やさしい女であった。二人の間にはお雪というかわいい一人娘があり、家族三人は幸せにくらしていた。 
 ところが、お雪が五つの時、喜衛門に好きな女ができた。喜衛門が、その女を新しく妻にしようとしたため、今まで幸せだった家族は、たちまち不幸になってしまった。お菊は驚き悲しんで、喜衛門に何度も思い直してくれるよう頼んだが、すっかり心変わりをした喜衛門には通じなかった。お菊は、とうとういとしいお雪を残したまま里へ帰ってしまった。  
 喜衛門の妻になった女は心の冷たい、ひどい女であった。まま母は、お雪に何かとつらくあたり、食事もじゅうぶんにあたえなかった。そのうえ、自分の仕事まで小さいお雪にさせて、お雪がよくできなかったり、失敗したりすると、ひどくぶっていじめた。喜衛門も女のいいなりになって、お雪をしかるようになっていた。
 まま母にいじめられるのはがまんできても、父親にかばってもらえないのが、お雪にとって何よりつらいことであった。だから、しかられるたびに母親のお菊のもとへ行っては、泣き泣きつらさを訴えていた。お菊は、わが子の話を聞きながら、自分がいじめられえ、傷つけられてでもいるように心を痛め、お雪といっしょになげき悲しんだ。  
 こんなことがたび重なるにつれて、お菊は、お雪のことを心配するあまり、とうとう気が狂ってしまい、喜衛門と女をたいそううらみながら死んでしまった。  
 まま母は、悲しみにうちしおれているお雪をいじめ続けた。  
 「かあちゃんは、なんでわたしを残して死んでしまったのだろう。かあちゃんに会いたい。死んでかあちゃんの所へ行きたい。」
 ある晩、お雪は、母の墓まで歩いて行って、そこで思いきり、泣き明かした。これがいつしか習慣のようになって、お雪は月夜でも闇夜でも、毎晩こわさを忘れて母の墓へ通うようになった。そして、生きている人にものをいうように、母のお墓に泣きながら悲しみを訴えるのだった。  
 そんなある夜のことである。その夜も、お雪が、まま母にひどくぶたれ、母のお墓の前で泣いていると、ふと目の前が、ぼっと青白く明るくなった。墓のうしろから、あのなつかしい母親が現れたのである。お雪は息がつまるほどおどろいたが、思わずこの世の人でない母の胸にとびついて行った。お菊も、わが子をしっかりとだきしめた。
 「ああ、かわいそうなお雪。かあちゃんは、おまえがいつかは、いじめ殺されてしまうのではないかと思うと、心配で成仏できないんだよ。」
 お菊はそういってお雪をいとおしそうにいっそう強くだきしめた。
 「だから、少しでも早く、このお寺の尼さんになり、仏様のお力におすがりして、かあちゃんが安心して仏様になれるようにとむらっておくれ。そして、おまえのようなかわいそうな子どもを救っておあげ。それから、もう今夜かぎり、お墓に泣きにくるのはおよしなさい。その代わり、かたみとしてこの着物の片そでをあげるから、かあちゃんと思ってたいせつにしておくれ。」
 二人はしばらくかたくだき合ったまま、別れをおしんだ。幽霊のお菊は、自分の着物の片そでをびりびりと引きちぎってお雪にわたすと、かき消すように消えてしまった。 
 しばらくの間ぼんやりしていたお雪は、はっとわれにかえると、母にいわれたとおり尼になるため、すぐその足で寺にかけこんだ。尼になったお雪は、いっしんに仏に仕え、母の霊をなぐさめた。そしてまた、不幸な子供達の世話をよくし、困っている人たちを助けた。やがてお雪は、島の人たちから仏様のようにうやまわれながら七三歳でなくなった。
 お雪が母からもらったかたみの片そでは、今も、大島の願行寺に「ゆうれいの片そで」と呼ばれて、たいせつに残されている。
20120109新居大島 130

本殿横にある土壁。江戸期か?
20120109新居大島 132

本殿の造り。
20120109新居大島 133

吉祥寺
真言宗 安永9年創立。
20120109新居大島 134

弘法大師像
20120109新居大島 135

毘沙門天
創立不明。
20120109新居大島 137

毘沙門天の中
20120109新居大島 138

八幡神社
貞観元年創立。
20120109新居大島 140

20120109新居大島 141

この石段の上には新居浜市有形文化財大元神社がある。
20120109新居大島 143

今日はフェリーの時間があってここまででしたが、新居大島は面白い。次回は史跡を全て見てみる。大島の町並みも面白い。

松山建築歩き探訪

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

最初は、愛媛大学教育学部付属中学校内にある講堂章光堂、国登録有形文化財。
以下松山市文化財課のホームページから転記。
建物は、大正11(1922)年の建築で木造2階建、屋根は日本瓦葺き、正面はギリシャ・ローマ時代のトスカナ様式の8本の円柱からなる車寄せと、左右対称に設けられた塔で飾られている。外壁はドイツ下見板張り(下見板の張り方の一種で横目地になっている)で、縦長の上げ下げ式窓が整然と並ぶ。
1階は8,5mの吹き抜けとなっており、コの字型の2階ギャラリーは20本の白い柱で支えられ、手摺りと相俟って見な幾何学模様をなしている。 

20120101初詣 074

明教館~旧制松山中学の流れをくむ県内最古の高校、松山東校の正門跡。明教館の写真を撮りたかったが中に入れず。愛媛県指定文化財。

20120101初詣 082

松山地方気象台。国登録有形文化財。
以下松山市文化財課のホームページから転記。
愛媛県指定有形文化財「旧萬翠荘」(木子七郎設計)に遅れること6年。玄関ホールに見られるギリシャ風の円柱、外装用タイルに同品質、同寸法のものを用いるなど「旧萬翠荘」との共通点も多く、この強い影響力を受けている。
この建物の階段室の上部に、工事に関する記録が大理石に刻んで取付けてある。それによると、建設当時、所管官庁が愛媛県でT.TOYAMAなどとなっており、英語とローマ字による記録文字から、新しい技術を学び取って、この地に見事開花させた技術者のひそかな誇りがしのばれる。
http://www.jma-net.go.jp/matsuyama/gyomu/toroku.html

20120101初詣 084

愛媛県庁舎。設計は東京帝国大学出身の木子七郎で、昭和4年建築。

20120101初詣 097

愛媛県美術館。設計は日建設計で1998年建築。
構造:PC圧着工法 RC造 S造
階数:地上3階 地下1階
外装:特注磁器質ボーダータイル打込PC版 特注磁器質大型タイル 改良圧着張
屋根:銅板素地板段葺、アスファルト露出断熱防水の上、脚つきコンクリートブロックパネル置敷、
   アルミハニカムパネル、フッ素樹脂塗装
建具:ステンレス押出型鋼サッシ+大版フロートガラス

20120101初詣 108

三津の町並み。

20120101初詣 110

石崎汽船本社。国登録有形文化財。
以下松山市文化財課のホームページから転記。
関東大震災の翌年、大正13(1924)年に竣工した石崎汽船の本社社屋である。
建物は、耐震防火を考慮し、当時としては画期的な鉄筋コンクリート造りを採用、2階建で正面は左右対称形、外壁は白色タイル張り、腰人造石洗出し、玄関上に小柄なバルコニー手摺りを張り出し、単純なレリーフをあしらっている。内部一階は高い天井と大理石貼りのカウンターが人目を引く。当初はエレベータを付けることや窓まわりは鉄枠とすることで計画されていたが、予算の都合で実現していない。
設計は萬翠荘や愛媛県庁を手がけた木子七郎で、木子自ら施工監督に当たり、細部にわたって技術指導、資材購入にも関与し、荘飾品もすべて大阪で特注した。 

20120101初詣 114

森家住宅母屋。国登録有形文化財。
以下松山市文化財課のホームページから転記。
森家は、松山市三津(旧三穂町)において萬問屋、精米・精麦業を営んでいた。三津は商・工業の盛んな土地であるが、俳句においても松山市を代表的する地域で、建築当時の当主である森要三郎は「連翠」という俳号を持ち、小屋組の梁には「薫風や今ぞ餅まく上げ汐に」という句が墨書きされており、要三郎の建築に寄せる思いが伺える。
外観意匠は、木造2階建の主屋に連続して門・塀を設け、通りに面する店舗部分の柱間下部は御影石で固め、2階壁面・軒裏全面を銅板で仕上げている。関東大震災以後、防火・防災を考慮して木造建築の壁面に銅板やタイルを張った建築の影響を受けたものと考えられる。
1階座敷は主に句会等に用いられ、2階座敷は身内の客用、2階洋室は個人的な来客に使われたと伝えられる。
 
20120101初詣 120

横の補修。

20120101初詣 123

三津のまちの中で見つけた建築物。

20120101初詣 126

20120101初詣 127

松山市の国登録有形文化財は、他には愛媛県教育会館(歩く途中にあったのに忘れた)鍵谷カナ頌功堂(伊予絣の創始者)がある。

城下町長府の町並み

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

長府藩。長州藩の支藩である。現在、武家屋敷等の町並みを保存(観光地化)し、城下町の雰囲気を作っている。

20111228下関小倉 128
20111228下関小倉 134
20111228下関小倉 144
20111228下関小倉 145
20111228下関小倉 146
20111228下関小倉 150
20111228下関小倉 170
20111228下関小倉 174

地元の大学を入れて景観計画に取り組んでいるようだ。取り組みとしては、地元学、観光モデルコース、景観まちづくりワークショップなど。今度調べてみよう。

町歩きで気がついたのは、道にゴミが落ちていないことと、ゴミ置き場に整然とゴミだししており、生活と景観保全の中でうまく地域で話し合ったのではないかと思いました。

伝統的な武家屋敷を維持するに、土壁の補修技術や整備費用など負担が大きいだろうと思いますが、生活と景観保全が共存できている間は社会資本として維持すべきだと思います。

歴史性を謡い、上手に町並み景観を形成し、観光に結び付けている整備事例でした。

えんとつ山2012START!

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

2011年ありがとう。
20111119えんとつ山 062

2012年よろしく!
20111119えんとつ山 058

JR松山駅周辺まちづくりシンポジウム

こんにちは、まちプロ尚草紙です。(^^♪

松山市役所HP
http://www.city.matsuyama.ehime.jp/matsuyamaeki/1208260_1011.html

シンポジウム開催案内_ページ_1
シンポジウム開催案内_ページ_2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。